きたまち界隈
多聞山城址(法蓮町)
 この界隈のモニュメント的な存在として浮上してきたのが、戦国の武将、松永久秀(弾正)が築城した「多聞山城」だ。その多聞山城の跡に建てられたのが現在の若草中学で、その堀切等が現在も伺えるが、概要についての文献が、ほとんど現存しないところから、幻の城とされてきた。
 その姿を一番克明に伝えているのは、宣教師ルイス・デ・アルメイダの通信文だ。そこには、永禄3年(1560)の築城工事から5年目、ほぼ完成した城の姿が記されている。「城壁と堡塁(とりで)の白壁は、かつて見たことが無いほど白く輝き、一度葺けば4、500年もつ瓦で葺かれている。その内部はすべて香りの良い杉で造られている。」さらに他の文献と合わせると、四畳半と六畳の茶室、能舞台も存在したと推定できる。
日本城郭史学会の西ケ谷恭弘代表の講演によれば、安土城の五層七重の天守閣は多聞山城を真似たものといわれている。諸説はあるが、茶道や能のルーツが奈良町にあったことの証にはなる。心の中のモニュメントとして、宮殿のようなお城を描きながら街歩きを楽しむのも悪くない。