元林院・南市界隈
◆興福寺
藤原氏の氏寺として、官寺と同じような待遇を受け、寺域四町四方、堂塔の数170余りとまでいわれた。二度の大火と廃仏毀釈で衰退、現在残されているのは東金堂、五重塔、三重塔、北円堂、南円堂などだけ。南円堂は西国三十三ヶ所の第九番札所として多くの参詣者を集めている。本瓦葺きの八角円堂で本尊に不空羂索観音を祀る。

◆五十二段と六道の辻
興福寺と猿沢池の間にあるのが奈良の人々に「五十二段」と呼ばれ、親しまれている石段。善財童子が五十二人の知識人を尋ねまわった古事に因み、五十二の階段は仏門に入る修行の段階を表現している。この石段の下が六道の辻。五十二段も入れると、六本の道が連なっている。前世の暮らし方によって、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上のいずれかに生まれ変わるという、その選択肢を表している。

◆高札(こうさつ)
江戸の昔、お上のおふれを掲示したのが高札。その威厳によって掲示場所もランク付けされていたが、もっとも位の高いのが御高札とよばれ、奈良町では橋本町に置かれていた。現在も復元されたものが置かれているが、おふれ書きの内容は現代風に書き改められている。奈良県下の距離を測る基準点、「里程」のポイントにもなっている。
◆絵屋橋
元林院町は芸妓の街であったと同時に、江戸時代には興福寺や春日大社に仕える絵師が住む街でもあった。後に南都絵師と呼ばれ、室町末期から江戸時代にかけて、高い評価を受ける奈良絵本を生みだした。現在の元林院絵屋橋は改修されたものであるが、最初に作られたのは文化二年(1805)といわれる。長野冬季オリンピックのポスターを制作したフレスコ画の絹谷幸二氏はこの街の出身。

◆道祖神社
上ツ道を南に歩くと右手に道祖神社がある。衝立神、猿田彦または「賽(サイコロ)の神」ともいわれ、勝負事の守護神として信仰を集めていた。施錠され入れないが、境内には荒神といわれる大きな石が置かれている。よく見ると欠けた跡が多数見られる。石のかけらを持っていると勝負事に強くなると信じられているためだ。もっとも、道祖神が元興寺町の御霊神社の神様とバクチして、道祖神が負けて氏子を取られたという伝説もある。

◆恵比寿神社
南市町の一角にある朱塗りの社が恵比寿神社。鎌倉時代にここに市が開かれたときから、その守護神として栄え、現在も一月五日の初戎には、商売繁盛を願う多くの参拝者が訪れる。