元興寺・上ツ道界隈
中條姫伝説ゆかりの寺
 中将姫というのは架空の人物で、歴史の中には登場しないが、現在でも語り継がれ、各地で信仰の対象となっている。伝承によると、中将姫は藤原四家のなかでも、最も力のあった南家の右大臣藤原豊成の一女として天平19年(747年)に生まれたが、5才の時に生みの母と死別する。後妻に子どもが生まれると、姫は憎まれ、宇陀まで流がされる。父、豊成と再会し、奈良に戻るが、世の無常を悟って17才の時に当麻寺で出家し、尼になった。蓮糸で大曼荼羅を織り上げ、迎えに来た阿弥陀如来と二十五菩薩と共に29才で浄土へと旅立ってしまう。この有り様は当麻寺の練り供養の中で再現されている。中将姫ゆかりの奈良町の寺としては、誕生寺(三棟町)、高林寺(井上町)、安養寺(鳴川町)、徳融寺(鳴川町)が知られている。
◆誕生寺(三棟町)中條姫が生まれた豊成公の屋敷がこの辺りに合ったという。産湯を使った井戸も有り、中将姫坐像を祀る。
◆高林寺(井上町)本堂の前に豊成公の墓と伝えられる円墳がある。豊成公と中将姫の坐像を祀る。
◆安養寺(鳴川町)寺伝によると開祖は法如禅尼(中将姫)で、創建当時は横佩堂と呼ばれていた。
◆徳融寺(鳴川町)この寺の山号は豊成公に因み豊成山といい、墓地に豊成公と中将姫を祀る石塔や仏石がある。