第23回(1997年03月号掲載)

お正月の遊び 参

前回からのつづき
 平岡さんが、「お芋といえば、田でもみ焼きをしてはる時、よくお芋を持っていって焼いてもらいました。時々、もみの中にお米が残っているのがあると、ポンとはぜてポン菓子のようになるので、それも友達と取り合いで食べましたなあ。」と、過ぎた時の彼方を見つめるような目をされると、先生も、「そう、そう、ポンと音がすると、皆争うようにその音の方へ手を伸ばしましたねえ。」と懐かしそうだ。岸さんは、「虫送り(注1)にも、よくついて歩きましたし、雨が長い間降らない時は雨乞いもしました。国中は水が不足しがちなので、雨が降らないと、血の雨が降らんばかりの騒ぎが持ち上がります。そこで、手に手に松明を持って、『雨たんもれ、雨たんもれ』(注2)と叫びながら、田んぼの畦をくまなく歩き回ります。」と懐かしそうにおっしゃる。子供の目には、水が足りない恐怖よりも、大人達の真剣な行事が物珍しく映ったのだろう。平岡さんが、「小麦を口の中で噛んでいると、チューインガムのようになるので、よくやりましたね。皮やカスを吐き出すと、真っ白なチューインガムのようになって。」とおっしゃると、先生も、「やりました。やりました。」と同調される。私はそんなことはしたことがないけれど、きっと小麦に含まれているグルテン(麸質)が出てくるのだろう。
 その時、私は、家に橙がたくさんあるのを思い出した。このごろは、昔のように事務所ごとにお鏡を供えないで、本社とか本店だけになっているのだが、増尾商店の店が三つ、自動車学校、マスオ商事の店が十六と、その注連飾りに付いている橙だけでも二十くらいある。橙を付けたままでは注連がよく燃えないので外してあるのだ。「橙であぶり出しをしなかった?」と聞くと、皆、「ああ、やった、やった。」とおっしゃる。そこで、「音声館では、よく子供達に昔の遊びを体験させたりしておられるらしいけれど、橙のあぶり出しをやってみられないかしら。されるのだったら家にたくさん橙があるのだけれど。」と言うと、平岡さんが早速聞きに行ってくださった。ちょうど、荒井館長さんがいらっしゃって、「そうそう、あぶり出しもありましたね。橙をくださるのだったらいただきます。」とおっしゃったとのことで、平岡さんが家まで橙を取りに来てくださた。「これで描いてもらってください。」と、中国土産の筆を添えて持っていっていただいた。
 それから、私も、何十年もあぶり出しなんかしていなかったので、橙の汁だけでできたのだったかしら、と不安になってきて、一個残しておいた橙を搾ってやってみた。でき上がったあぶり出しをガスであぶると、隅にガスの火が燃え移って、慌てて火を消したが、燃え残った紙に文字が浮かび上がっていた。このごろは、ストーブも直接火が出ていないので、古い石油ストーブを探してきて、それでやると、上手く字が浮き出てきた。店の若い社員が珍しがるので、残った橙の汁と紙を渡して、「作って家の方にも見せてあげなさい。」と言ったら、喜んで色々描きだした。「ところでダイダイって何ですか。」と聞くので、現物を見せて、「お鏡の上に置いてあったでしょう。」と言うと、「ああ、あれ蜜柑と違うのですか。」とびっくりしている。時代も変わったものだ、と私のほうが逆に驚く。「橙は、親の知恵とか財産を代々子孫に伝えられるようにとの願いを込めて、まつるのですよ。お金や物だけが財産ではない。誠実さとか、器用さだとか、経験とか、親の心の内には、子や孫に伝えたいものがいっぱいあるはずですね。」と、橙談義に花が咲いた。
 (お正月の遊びというわけではなく、季節を問わずに)箱庭もよく作った。木の空箱に土や砂を入れて、山や川を作る。山には小さな木や草を植え、川には舟を浮かべる。箱庭用の小さな橋や塔、家なども売っていたが、自分で木片や粘土を用いて作るのも楽しい。今のように、手軽に海や山へ連れていってもらえなかった子供達にとって、箱の中に作って楽しめる大自然であった。
●注1…「虫送り」は、作物を害虫から守るため、村人達が大勢で松明をともし、鐘鼓をならして村外れまで虫を追い払うまじない。
●注2…「たんもれ」は「給もれ」、すなわち、くださいということか。