第15回(1996年07月号掲載)

懐古 子供の遊び 参

 雨が降って外へ出られない時や、遊び道具のない時は、よく、糸一本で遊べる綾取り(奈良では糸取りと呼んでいた)や、セッセをした。
~セッセッセ 三と一二 三と一二
 三一二と三と 一二と三

~セッセッセ 夏も近づく八十八夜
 野にも山にも若葉がしげる
 あれに見ゆるは茶摘みじゃないか
 茜だすきに 菅の笠
 と歌いながら、拍子良く相手の手と自分の手を打ちならしながら遊ぶ。拍子のとりやすい歌だったら何でも「セッセッセ」をつけて自分で演出した。今のようには玩具が豊富にない時代、子供達は一人一人が遊びのプロデューサーであり、がき大将とはそのチーフであった。
 この間、ソロプチミストのバザーに法華寺の御門跡の久我高照様がおいでくださった。その時、お伴で来てくださった尼様が、私に「奥さんの顔を見るとなつかしゅうて。」とおっしゃった。私も法華寺様へはしばらく伺っていなかったので、「本当にご無沙汰致しまして」と答えると、「奥さん、ずっと前に椿井小学校へお話に来てくださったことがあったでしょう。」とおっしゃる。「えっ?」と思って頭の中で最近下手な話をしに行った所を思い出してみる(南都銀行の西大寺支店、オリエント館、奈良ホテルでも時々しゃべったことがあるけれど、椿井小学校へは五、六年前に植樹へ行って以来行っていない)。「椿井小学校へは最近伺っておりませんが、いつ頃の話ですか。」と聞くと、「ずっとずっと昔、私が小学校の頃です。」とおっしゃったので思い出した。私と同年代の尼様が小学校の頃といえば、五十年以上も前のことだ。その頃は童話熱が盛んで、児童文学に関心のある人達が集まって、ほうぼうの学校やお寺で、日曜学校のように童話の会が催された。テレビなんかない時代であるし、学校でも先生が「今週の日曜日は○○で童話会があります。」と紹介してくださるので、どの学校でも童話を聞きに来る子供達で講堂がいっぱいになった。そのうち、大人ばかりより子供にも話をさせてみようということになって、何人かの子供が童話連盟の先生達と一緒に童話を話しに行くようになった。私がその話す側に選ばれたのは、マイクの設備もあまりなかった時代、声が大きかったのと、子供の頃体が弱かったので、外で遊ぶより家の中で本ばかり読んでいたから、話が上手というよりも童話をたくさん知っていたからだろうと思う。小学校四年生の時、編入試験を受けて女高師の付属小学校に転校してからは童話の会のほうにもあまり行けなくなったから、せいぜい小学校二年生か三年生の頃のことなので、きっと棒覚えの下手な話だったと思う。それなのに、何十年も前のことを覚えていてくださったなんて、本当に感激だった。その尼様のお話から、童話の会というのも当時の子供の遊びの一つだったと、懐かしく思い出した次第である。

◆奈良町小話

 このごろ、カメラや句帖を持って奈良町を歩く人の姿が、とみに多くなってきた。明治以来、脇目もふらず、より新しいもの、より合理的な方法を求めて努力を重ねた結果、今日の経済発展をもたらしてホッとした時、人々は過ぎ去った時間がそっとささやきかけてくれるような古い町に、郷愁に似た懐かしさを抱くのであろうか。
 以前毎日テレビの「日本が知りたい」という番組の取材に来て、「かまどを見せてほしい」と言われた。我が家を外から見て台所も昔通りだろうと思われたようだ。一通り家の中を見て回った後、「これだけの修理や改装をするのなら新しく建て替えたほうが安上がりなのに、どうして古い形を残そうとなさるのですか。」と聞かれた。「私は奈良町が大好きですから、できるだけ雰囲気を壊さずに昔の面影を残したいと思いますが、生活をするとなるとやはり簡便さや空調による快適さも捨て難いので、古い物と新しい物を調和させて暮らしています。」と答えた。
 実際、遠い所からわざわざ回り道をして立ち寄ってくださったお年寄りが、「ここは昔のままやな。若いころ奈良へ来ると必ずここへ来て砂糖を買うて帰ったもんな。」と昔話などをしてくださると本当に嬉しい。とは言うものの、奈良町も好むと好まざるにかかわらず、刻々と姿を変えつつある。せめて自分が見たり聞いたりした身近な変遷だけでも語り伝えたいものだと思う。
 旧市内で塔と言えば興福寺の五重塔を思うが、江戸末期までは元興寺の五重塔も健在でそびえていたようだ。安政六年、元興寺さんの塔が炎に包まれて焼け落ちた時は、火の粉が降るように飛んできてこの世の末かと思うほど恐ろしかった、と高林寺(井上町)の先々代の住職から聞いたことがある。塔趾の近くに木幸という粉問屋さんがあったが、その裏には長い間塔の焼け残りの残材が野積みされていたということだ。我が家の初代が元興寺に砂糖伝を開業したのは安政元年だから、朝夕仰ぎ見て心の支えにしたであろう塔が炎上した時は、若き日の初代夫婦はどんなにか落胆し、心細げに肩を寄せ合ったことであろう。そのことを想像すると、ちょんまげを結っていたという初代も、とうの昔に焼失してしまった元興寺の塔も、ひどく身近に感じられてくる。