第14回(1996年06月号掲載)

懐古 子供の遊び 弐

 石蹴りをする場所には、神社の石畳の参道が最適だった。石畳の筋にかからないように、石を一つずつ畳目に蹴り入れながら、早く御宝前に達した者が、文字通り「上がり」で勝ちとなるのだ。
 ケンケンは蝋石で線を引きやすい道路ですることが多かった。石蹴りやケンケンの玉にするガラス玉や平べったい石、道路に何でも書けてこすれば消える蝋石などは、子供達の宝物の一つだった。
 縄一本で遊べる縄跳びは、主に女の子の遊びだった。二人でロープの両端を持ち、横にゆすって波をつくったり、まわしたりする中を、
~大なみ 小なみ
 まわしてまわして アッパッパ
と唄いながらロープを跳び越えたり、一人跳びの場合は両手に持った縄を一跳びする間に二回まわしたとか、三回まわしたとか、二回跳びを三回続けてやれたとかを競い合った。
 高跳びにあたる段跳びには、足を引っ掛けても怪我をしないように、輪ゴムを長くつないだものが用いられた。一段目は地上十センチメートルぐらい、次は三十センチメートル、五十センチメートルと、だんだん高くなっていって、自分の背丈くらいを跳び越えた。
 鬼ごっこやかくれんぼは男女共通の遊びで、広場や道路を駆け回った。
 この間、町内の寄り合いで子供の頃の話が出て、今はひとかどの旦那さん達が、「わし等の子供の頃は、かくれんぼをすると言ったら増尾はんの倉庫へ隠れて、砂糖の袋の破れたのが見つかったら大喜びでなめたもんや。そんな時は探しに来た鬼も一緒になってなめてましたで。」と一人が言われると、他の方が「時にはおまえ等も穴を空けたんとちがうか。」と言ったので大笑いになった。今どきの子供は砂糖なんか「なめろ」と言われてもなめないだろうけれど、昔は冷たい井戸水で作った砂糖水は、子供にとってご馳走だったようだ。
~かごめかごめ かごのなかの鳥は/いついつ出やる 夜あけの晩に/ 鶴と亀がつべった/うしろの正面だあれ
とか、
~奈良の奈良の大仏さんは/ 天日に焼けて/あれはどんどんどん/ これはどんどんどん
 正面どなた うしろに誰がいる 
(これがすぐ隣の山城まで行くと、/「京の京の大仏さん」になる)
~通りゃんせ 通りゃんせ/ ここはどこの細道じゃ/ 天神様の細道じゃ
 一寸通して下しゃんせ/ご用のないもの通しゃせぬ/ この子の七つのお祝いに
 お札を納めに参ります/行きはよいよい 帰りは怖い/怖いながらも通りゃんせ通りゃんせ
等々の歌声が町々に流れ、子供達は日が暮れるまで走り回った。
 レンゲやタンポポが野原を彩り、つくしが可愛い頭を出す頃になると、摘草のシーズン。
~レンゲ摘もか 花摘もか/今年のレンゲはよう咲いた/お耳に巻いて スットントン
 もひとつまあいて スットトン
子供達は唄いながらレンゲを摘んで首飾りを編んだり、タンポポの花束を作ったりした。
 レンゲのネックレスは、それをつけたままお風呂に入ると、浴室いっぱいに良い香りが漂って、ハワイか南洋の王女様になったような気分がした。タンポポは、そのまま壷に挿すだけではなく、茎を縦に少し裂いて水に漬けると、クルッと巻き上がって、蛸のようになったり、水車のようになったりした。タンポポの茎を三センチメートルくらいに折ったものを吹くと笛のような音がなった。笛は、からすの豌豆でも雀の鉄砲でも葱坊主ででも作った。材料によっても、太さによっても、音の高低や質が異なっておもしろかった。
  げんげ田にボール投げする/寝ころべる/笛吹きしからす豌豆葱坊主/たんぽぽの畦足裏にやわらかき
 摘んできたつくしは、卵とじになって食膳に上がった。つくしのほろ苦い舌ざわりには春の喜びの味があった。春の光を満喫してつくしを摘んできた子供達より、家にいた大人のほうがつくしの春便りを喜んだ。
 新麦の取り入れが終ると、牛車の小父さんが毎年大きな麦藁の束とはったい粉を「とおさんに」(※)と言って持ってきてくれた。早速、友達を呼び集めて麦藁で栞や牛や馬を作って遊ぶ。節のあたりを裂くと笛にもなった。巻貝のような形をした籠を編んで庭の梅桃を入れると綺麗だった。ひとしきり遊び終った頃、砂糖を入れたはったい粉が出てくる。皆で互いに笑わせあって、相手に吹き出させようとするのだが、ついに皆一斉に吹き出して、その辺を粉だらけにしたのも懐かしい。
 田植えの頃になると夜空に蛍が飛び交う。蛍狩りは夜だから、大人に連れて行ってもらわないと行けないけれど、団扇を片手に青白い光を明滅させながら飛ぶ蛍を追っかけた。「下の方でじっと光っているのは蛇の目かもしれないから手を出すな」と言われていた。
 夏になると、男の子達は蝉や甲虫、トンボ(特にヤンマ)を追いかけるのに夢中になっていた。
※「とおさん」とは、奈良町の商家で使われていた呼び方で、「お嬢さん」といった意味。〈編集部・注〉