第13回(1996年05月号掲載)

懐古 子供の遊び 壱 

 昭和初期の子供の遊びを思い出してみると、道路や神社は子供達の大切な遊び場であった。
 男の子は独楽回し、輪まわし、面子(ベッタとも呼んでいた)、竹馬、陣取り、チャンバラ、キャッチボール、パチンコ(石遺り)、凧あげなどに夢中になっていた。
 独楽は木綿の紐で回すのだが、地上で回っている独楽を紐ですくい上げたり、上へ放り上げて紐で受けて手のひらや紐の上で回したり、再びそれを地上へ投げて回したり、まるで曲芸のような回し方をそれぞれ工夫して自慢しあっていた。
 輪回しは、鉄の輪や自転車のリムを鉤のついた鉄の棒で押しながら、ジャラジャラと大きな音をたてて道路を走り回って競走していた。この前カシミールへ行った時、子供達がリムでこの輪回しをしているのを見て懐かしく思ったが、今の日本では道路を我がもの顔に走り回ることは、とてもできない。
 面子は、丸や奴形に切ったボール紙に強そうな武士や漫画の人気者の画を描いたもの。何人かで面子を地面に叩きつけて、相手の面子をひっくり返したらそれを貰う。上手な子は面子がどんどん増えるが、負けると宝物の面子が人の物になってしまう。それで、上手にひっくり返せるように、蝋を塗ったり油を滲ませたり、色々工夫を凝らして補強した。地面に叩きつけている時、ベッタベッタと音がするので、子供達はベッタと呼んでいた。
 運良く青竹が手に入った子は竹馬を作る。上手に歩けるようになると、だんだん足場を高くしていくので、何だか背がぐんと高くなったような優越感をもつことができたのだろう。いつも乗用車で走る道をバスで通ると、全く違った町を見るような感じがすることがある。そんな時、私はいつも竹馬を思い出す。
 缶詰の空き缶の両脇に穴を空けて紐を通し、カッポカッポと音を立てながら歩いている子供達もいた。
 パチンコは、別名「石やり」とも言うように、二また(Y字形)の木の枝にゴムを張り、ゴムの弾力で石をはじき飛ばすもの。ガラスを割ったり、人に当たったら危ないからと、親に叱られながらも腕白達はよくやっていた。
 凧上げは道でやると電線に引っ掛かりやすいし、陣取りやチャンバラは場所が必要なので、放課後の校庭や神社でよくやっていた。殊に神社は適当に隠れ場所や広場があるので最適で、神主さんに怒鳴られて散ってもすぐまた集まってきて遊んでいた。
 御霊神社の信徒総代会に行くと、「私達が子供の頃は、学校から帰ったら『ゴリョーさん(御霊神社)へ行こ』と誘いあって、いつもゴリョーさんで遊んでいたので、ゴリョーさんには何とも言えない親近感を持っている。だから、神社のために一生懸命やらなければならないと思っているけれど、このごろの子は家でテレビゲームをしたりして遊んでいるから、あの子らが大きくなっても神社との精神的な結び付きが薄いのと違うだろうか。」といった話がよく出ると主人が言っている。
 女の子の遊びはままごと、前述のあねさま人形(※)、おはじき、お手玉、手毬、石蹴り、ケンケン遊びが主流だった。ままごとやあねさまごっこで子供達は挨拶の仕方を覚えたり、女の仕事を理解したりする。夏は木陰で、小春日は日なたで、茣蓙一枚が子供達の別天地だった。
 おはじきやお手玉は女の子の手先を器用にした。残り布で配色良く縫われたお手玉に、小豆を詰めたものが一番使いやすかった。お手玉の中の小豆は、毎日使われるので互いに磨き上げられ、虫のつく間もなかったのか、戦争末期の食糧が極端に欠乏した時、「主人が出征するのを送るのにお赤飯を炊きたいと思ったが、小豆が手に入らないので、ふと思いついて子供のお手玉に入っている小豆を取り出して使ってみたら、何年も前の小豆なのに良いお赤飯ができた。」という話を聞いたことがある。お手玉にはその後砂でも入れたのだろうか。父親はいなくなる、数少ない遊び道具のお手玉は手ざわりが悪くなってしまう、という少女の気持ちは、今思っても心の痛む話だが、それだけお手玉が常に身近にあり愛用されていたということを物語っている。
 手毬は、祖母の子供の頃(明治初期)は、こんにゃく玉などを芯にしてその周りを綿でくるみ、それを木綿糸で固く締めつけて球形にした上に五色の糸を美しくかがった、今は飾り手毬として売っているようなものを実際に作り、それを使って鞠投げや鞠つきをしていたそうだが、私達の頃はもっぱらゴム鞠だった。器用だった祖母は、色とりどりの絹糸でかがった美しい鞠を作ってくれた。今考えると、これは遊びに使うにはもったいない芸術品だったと思うが、子供の頃はよくはずむゴム鞠のほうがよかった。
~あんたがたどこさ 肥後さ
 肥後どこさ 熊本さ
 熊本どこさ せんばさ
 せんば山には狸がおってさ
 それを猟師が鉄砲で撃ってさ
 煮てさ 焼いてさ 食ってさ
 お茶の子さーいさい
「お茶の子さいさい」を「それを木の葉でちょいと隠す」と歌って鞠をスカートに隠すこともあった。「せんばさ」は、「えまさ」とか「えんまさ」とも言っていた。
~一力ラララ
 ラッキョ食ってスイスイ
 スイカ食ってキャッキャ
 キャベツでホイ
の「キャベツでホイ」で鞠をスカートに隠す遊び方もあった。
※「あねさま人形」とは、人形の首を木の棒につけたもの(「ぼんちこさん」と呼ばれていた)に、千代紙や布の着物を着せた人形のこと。〈編集部・注〉