第12回(1996年04月号掲載)

民間療法について 弐

「御門米飴」のこと
 当時の水飴は麦芽糖化による琥珀色の水飴が多かった。米を原料として麦芽で糖化したものを米飴と呼び、最も上等で栄養もあると信じられていたので、今のように病人に点滴で栄養を与えることなどできなかった時代、食事をとることのできない病人さんへのお見舞いとして米飴がよく使われた。ところが、戦後ほとんどの水飴は、大量生産のできる、澱粉を酸で糖化した文字通り粘稠性のある水のような色の甘いだけのものになってしまった。これでは水飴大根を作っても昔ほどの効能はないような気がする(※)と思っている矢先、奈良でシルクロード博が開催されるにあたり、記念に昔ながらの米飴を復活させようと思い立った。東大寺の清水公照長老に相談すると、「水飴は日本でも古来から神饌用として作られていたようであるが、おそらく往時はもっと原始的なものであったのを、奈良時代頃からシルクロードを通って優れた技法が入ってきたと思われる。奈良の都には七つの御門があって、都に入るには必ずどれかの御門から入らなければならなかったから、商品名を『御門米飴』にしたら!」と命名してくださって、御門米飴という商標と、飴に対する思い出を書いてくださつた。米飴は一休さんの頓智話じやないけれど、やはり壷に入れたほうがムードがあるので、壷に清水公照師の字を転写させていただいて砂糖傳増尾商店から売り出している。水飴大根の思い出から再現した商品である。
「灸」
 昔の年寄りはたいてい背中にお灸の痕をもっていた。肩こり、腰痛、胃腸病、何にでもお灸をすえたようだ。専門家に灸点をおろしてもらってきて、その灸つぼにもぐさをおいて線香で火をつける。何度も灸をすえていると膿が出てくるので、膿が出始めると無二膏という黒い膏薬を朝夕張り替えて、傷が治る頃に病気も治ると言われていた。肩こりには、吸玉という半円形のガラスの器具をこっているところに吸いつかせたり、蛭に血を吸わせたりしたそうだ。蛭も医用蛭といって薬屋さんで売られていたというが、私は見たことがないのでどうして使うのか知らない。
「湿布」
 手足をくじいたり突き指をしたりすると、小麦粉と酢を練り合わせたもので湿布をした。神経痛には蔓珠沙華の球根をすりおろしたもの、肺炎には芥子湿布などを、またエキホスも常備薬の箱に入っていたりして、今よりもよく湿布をしたものだ。 寝冷えなどの時には、こんにゃくを大きいままグラグラ沸かした湯でよく茹でて、それをタオルに包んでおなかにのせて暖めた。当時のカイロは白金カイロという揮発油を用いた小型のものか、黒い粉のこぼれやすい懐炉灰を用いたものだったので、寝ている時はこんにゃくのほうがたっぷりとおなかに当たる感じだった。

「強壮剤」
 この間、娘が「猿沢池でびっくりするほど大きなすっぽんを見た」と言って帰ってきた。それを聞いた私は、ふと、昔私が猿沢池に放したすっぽんじゃないかしら、と懐かしく思った。今のように栄養が充分でなかった頃は、鯉やすっぽんの生き血は一番精のつくものだと信じられていた。それで、父が病気になった時、お見舞いにたくさんの生きた鯉やすっぽんをいただいた。せっかくのご厚意だからと、最初は板場さんを呼んで搾りたての生き血をグラスに入れたり料理をしてもらったりしていたが、父も病が重くなるにつれて血を見るのがいやだと言い出した。そこで、猿沢池は興福寺の放生池だから、猿沢池へ放してやって放生の功徳をいただければ、すっぽんをくださった方のご厚情も無駄にしないですむというので、それからは鯉やすっぽんをいただくたびに猿沢池まで放しに行った。すっぽんが何年ぐらい生きるのか知らないが、ひょつとしたらあの時のすっぽんかも知れない。
 毒蛇として恐れられるまむしも、干した物をよくいただいた。焼くと鰊のような味がするのだそうだ。まむしは焼酎に漬けて保存していた家もあるようだ。
 気味の悪いもののついでに、生きたむかでを焼酎か油かに漬けておくと傷薬になった。私が小さい時、釘を踏んでケガをすると、近所の人が「釘には銹がついているので傷ウミするといけないから」と、むかで油を持ってきてくださつた。瓶に大きなむかでが漬かっているのは気持ちが悪かったが、それを塗っていただいたおかげか、膿みもしないで直に治ったのを覚えている。
「狐の舌」
 主人の兄は医者だったが、終戦直後に胸を悪くして先輩のお医者さん達も匙を投げるほど悪くなった。その時私の友人が、「お医者さんに勧めるのはおかしいけれど、昔から狐の舌を煎じて飲ませると死にかけている人でも助かると言うから、駄目でもともとだと思って勧めてみたら」と教えてくれた。狐の舌といってもまがい物だといけないというので、先祖の出里の山添村へ頼むと、干した狐の舌を持っている人がいた。主人がこれを持っていくと、始めは「わしは医者なのに狐の舌の煎じたなんか飲めるか」といやがったそうだが、皆に勧められて飲んでみると、不思議なことに、それまでどうしてもとれなかった熱がとれて次第に元気になり、それ以来四十年間も医者として社会に奉仕することができた。民間療法というのも、体質と病気にさえ適合すれば馬鹿にならないものだと思う。


◆奈良町歳時記 四月

四月三日は「神武さん」。公園は、来たるべき農繁期に備えて英気を養うための骨休めに餅や寿司をの入った重箱を持った近在の人達で賑わう。気の良い人達は草餅や菱餅をたくさんついて、通りが         かりに親類や知り合いに届けてくれるので、お雛祭りはその餅をお雛様に供えて四月三日にする家が多かった。四月八日は花祭り。ほうぼうのお寺で花御堂ができて、誕生仏を祀り、甘茶がふるまわれる。
たまさかに通りあわせて潅仏会
一口目が妙に甘い甘茶飲む
南円堂に洋花ばかりの花御堂
大仏の前に可愛ゆき花御堂
白象の香炉置かるる花祭り