第11回(1996年03月号掲載)

民間療法について 壱

「しもやけと兎の毛」
 昔は今よりも寒かったせいか、よく霜焼け(凍傷)にかかった。はじめは手や足が赤く腫れてむずがゆく、床に入って暖まってくるとますますかゆくなるので掻いているとそのうち水ぶくれになり、それを掻き破ると今度はジクジクして痛くなってくる。お医者さんで薬をいただくのだが、ガーゼを張り替える時、皮膚をはがされるように痛いので子供は泣き叫ぶ。そこで誰から教えてもらったのか、祖母が漢方薬屋さんへ行って兎の毛を買ってきた。薬屋さんに売っているのだからきっと消毒用のものだったのだろう。それを患部にあてて包帯をすると包帯の取り替えも楽になった。春になって霜焼けが治ると、しばらく霜焼けだった足の指に白い兎の毛が生えたようにくっついていた。
「むしばり」
 私の子供の頃、勝南院に非常によく流行った鍼灸院があって、「むしばり」と平仮名で書かれた看板がかかっていた。その頃子供がキイキイとかん高い声で泣くと、「疳の虫が出ているからむしきりに行こう」と言ってよくそこに連れて行かれた。子供はいやがって泣きわめくので待合室はいつも子供の泣き声で喧噪を極めていた。順番がくると、「さぁ背中に牛を描こうかな、馬を描こうかな」とやさしく言われながら鍼を打たれる。別に痛いこともなかったと思うのだが、何だか不安で怖かったから、自分の子供は連れて行ったことがないのでよくわからない。辞書で引くと、「疳の虫」とは疳の病原と考えられた虫、「疳」とは漢方の病名で子供の病気、脾疳やひきつけ等を指す、とある。さらに「脾疳」を調べると、五疳の一つで慢性消化器障害云々とあるのであまり当てはまらないように思うのだが、大人達は「子供も肩がこると気分が悪くてキイキイ言うんだから、鍼を打ってもらうと治る」なんて言っていた。
「風邪」
 ちょっとした風邪だと、寝る前に金柑と氷砂糖を煎じて、煎じたての熱いものを飲んで寝ると翌朝はすっきりしていた。金柑のない季節には、熱い砂糖湯に土生姜の搾り汁を加えたもの、または生姜入りの飴湯が用いられた。飴湯は体を冷やし過ぎないために良いとされて、夏でもプールのそばや海水浴場では飴湯が売られていた。特に印象に残っているのは「水飴と大根」である。私は小さい頃「百日咳」にかかって苦しんだことがある。犬の遠吠えのような激しい咳が続いて胸まで痛くなった。もちろん毎日お医者さんが往診してくださってお薬をいただいたり、エキホスで湿布をしたりしていたがなかなか治らないで困っていた。すると近所の方が「皮ごと適当な大きさに切った大根の上に水あめをのせ、一晩おくと水が出ているから、その水を飲むと咳が治まる」と教えてくださったので早速作ってもらって飲むと、不思議に咳が楽になって、すぐに全快した。お医者さんの治療も受けていたのだから、どちらがどう効いたとも言えないが、子供心には飴が効いたとしか思えない治り方だった。うどん屋にも風邪薬があった。うどんの出前を頼む時、風邪薬が欲しいと言うと持ってきてくれた。熱いうどんを食べてすぐにその薬を飲むと、よく効くと言われていた。


◆奈良町歳時記 三月

 三月十三日は春日大社のお祭りである「春日祭」の日。古来は二月と十一月の上申の日に行われていたということで申祭とも言われ、奈良町の人達は「申祭には勅使さんがお参りにきやはる。日本中でもお祭りに勅使がたつのは京都の葵祭と石清水祭とお春日さんの申祭だけやで。」と誇りをもって語る。奈良町の人達は昔からの習慣で今も申祭と呼び、春日祭とはめったに言わない。
 西新屋町にある庚申堂では、三月の第二日曜日と十一月二十三日には、参拝者にコンニャクの味噌田楽がふるまわれる。庚申信仰は中国の道教に由来するもので、この教えでは、人間誰の体の中にも「三尸の虫」というのが住んでおり、庚申の日、人が眠っている間に爪先からこの虫が抜け出して、天を支配する玉皇大帝(北極星)にその人の悪いところを告げ口しに行く。玉皇大帝はそれを聞いてその人の寿命を縮める、というふうに信じられていた。人々は庚申の夜、虫が抜け出すのを防ぐため、「庚申待ち」といって友達同士寄り集まって世間話をして一晩中眠らなかったり、三尸の虫の嫌がるコンニャクを北の方を向いて無言で食べたということだ。庚申堂でコンニャクの田楽が無料でふるまわれるのはそう昔からのことではなく、南治氏を中心とする西新屋の方達のご奉仕によるものである。最初二百人分ぐらいを用意しておられたのが、このごろではすっかり有名になって、三千人前を用意して足りないぐらいというほど、すっかり奈良町の名物になっている。
  薫風に庚申の申ゆれてをり