第09回(1996年01月号掲載)

奈良町歳時記1月

 奈良町の正月は若水汲みから始まった。新しい桶に朝一番に汲まれた水には、お餅を二個と柑子みかんを太箸に突き刺した物が漬けられる。水の神様へのお供えだ。奉書と水引きをかけた柄杓でその水を汲んで神仏に供えたりお雑煮を炊く。残った水で手や顔を清める。若水の冷たさには元旦の謹厳な喜びが満ち溢れていた。
 お雑煮は、一年間マメ(健康)に過ごせることを願って、豆木(注)を燃やして炊く。平素の女の労をいたわって、昔は男が炊いたそうだ。炊き上がったお雑煮はまず神仏に捧げられる。お正月は、いつも祀っている神棚や仏壇のほかに、十二ヵ月の神様と産土様(氏神様)にもお鏡とお雑煮を供える。
 十二ヵ月の神様には、十二組の小さなお鏡と三日月型の餅を置いた上に暦と帳簿を載せた盆を家長から順に三度ずつ押し戴いて、一年の無事と繁栄を祈る。産土様へは、座敷の床の間にお鏡を供えて拝む。最後に仏壇に参ってから祝膳につく。雑煮は大根、人参、里芋、豆腐の白味噌仕立てに焼いた丸餅を入れる。丸く中良く暮らせるようにと、大根、人参は輪切り。子孫繁栄と人の頭になれるようにと、里芋はいくら大きくても丸のまま煮る。変わっているのは、マメなようにと雑煮に入っている餅を引き上げて、別皿の豆の粉(きな粉)をつけて食べる。
  沢庵の初出しをする雑煮あと
 縁起物の黒豆、田作り、数の子、棒鱈、酢ごぼうの他、重箱にはおめでたい材料を使って、工夫をこらしたお節料理が詰められている。この祝膳が済むと、昔は新しいお仕着せを着た丁稚さん達が店の名刺を持って年始回りに出た。当時はどこの家でも店か玄関に屏風を立て、その前に毛せんを敷いた名刺受けが置かれていたので、「おめでとうございます」と声だけかけて名刺を置いてくる。今は近所でも年賀状を出すので、こうした年始回りの姿は見られなくなった。年始回りに当たっていない人達は、神社やお寺などへ初詣に行く。
  人混みに押され押されて初詣
  頭越しに賽銭投げる初詣
 正月二日には朝風呂をたく。湯殿に清澄な朝日が差し込んで身も心も清まる思いがする。風呂が済むと番頭さん達は羽織袴でお年始に出かける。店の主人はお年始を受けるために座敷で待機する。この日の年始客は座敷へ通して酒肴をもてなすので女達は忙しい。
  朝風呂に柚の香りのたてこめし
  華やかな巻筆選び筆はじめ
 子供達は丁稚さん達と一緒に凧上げ、独楽回し、双六、カルタ、トランプと結構忙しい。
 ひとめ ふため みやこし よめご
  いつやのむさし ななやのやくし
   ここのやでとまった
と、羽根つき歌とともに追羽根の音も聞こえてくる。
 大人達が「寝正月でしてん」と言っているのを聞くと、どうしてこんな楽しい時に寝てるんだろうと不思議に思ったものだ。長い袂の着物を着せてもらうのも女の子の楽しみの一つであった。
  緋鹿の子をかけて結ひ上ぐ年の髪
  丈伸びし吾子の春着の帯結ぶ
 しかし、このごろでは、
  追羽根の姿見ぬまま松過ぐる
といったことになってしまった。
 一月四日は初荷。店名入りの法被を着た人達や初荷の旗を立てた荷車で奈良町は活気づいた。法被で面白いのは、我が家の先代が染めさせた法被の腰の模様はローマ字の「マスオショーテン」を図案化したものだった。それが、戦後に染めたものには、古風に砂糖伝と入っている。大正デモクラシーとレトロ時代の違いだろうか。各商店では、初荷には酒とおつまみを用意して来る人ごとにすすめたが、このごろでは自動車を使うので酒は出せなくなり、梅干しと昆布を入れたお福茶を出している。
  伝来の法被が揃ふ初荷かな
  金箔を浮かべお福茶華やげり
このごろは、派手な初荷姿もだんだん見られなくなった。
 五日戎は、南市の恵比須様にお参りして吉兆笹をかついで帰る。大阪は十日戎だから十日まで正月気分が抜けないけれど、奈良は五日で正月気分が抜けて平常に戻れると、奈良町の人達は自負していた。数年前までは綺麗どころの宝恵駕籠が出て華やいだものだが、今は宝恵駕籠も出なくなってしまった。
  持ち重る吉兆肩に垂れかかり
  大判をつけし福笹持ち重る
 一月七日は七草。以前は七草粥を炊くのに、せいぜい二、三種類を庭の隅から探して入れていたが、去年あたりから七草を揃えて売られるようになったので、楽になった。
  七草の七種揃ひし粥を炊く
  七草や浅き緑のすがすがし
 その代わり、七草を切るときに唄う囃唄を忘れてしまって、
  囃唄忘れしままになずな打つ
なんてことになる。奈良町の七草は、細く長く生きられるようにと素麺を入れて味噌雑炊のような炊き方をする。
 十五日はとんど焼き。若い時、注連縄は十四日に外せばよいだろうと思っていたら、十三日の夜、近所の人が戸をたたいて注連縄を下ろすよう教えて下さった。十四日は一日ゆっくりお注連縄に休んで頂くのだそうだ。十五日の朝、小豆粥を供え、お灯明をあげて拝んでから、灯明の灯で点火してとんどをする。天へ帰るとんどの火に書き初めをくべて高く燃え上がれば字が上達すると、子供達は「上がれ上がれ」とはやしたてる。とんどで焼いた餅やいもを食べればその年は病気をしないと伝えられているので、わら灰で手や口を黒くしながら食べる。
  まゆしかめ風上を追ふとんど焼き
  半ば焦げ半ば硬かりとんど芋
 これもこのごろでは、
  とんど餅今年はホイルに包み焼く
と変わってくる。
 正月の十五日間、ぎっしり行事が詰まっているので、とんどの煙を見ると、主婦はスッと肩の荷が下りた感じがする。
  つつがなく松納めして小豆粥
  とんど済み常の暮らしが戻り来し
 昔は若草山の山焼きは節分の夜に行われたが、今は成人式のある一月十五日の夜に行われる。
  一瞬に火の箭走りて山を焼く
  黒き斑を拡げ拡げて山焼くる
  山焼く火消えて寒月冴えにけり
豆木/豆をとった大豆の枝〈編集部・注〉