第04回(1995年08月号掲載)

奈良町の人々の信仰心

 奈良町の人達は昔から信仰心があつかった。各町内に伝来の曼荼羅や仏像、祠堂などを持っている所が多く、それをお祀りするための講が出来て仲間意識が生まれ、自分達の町という連帯感を強めていった。西新屋町の庚申堂を中心とする活動は奈良町保存の原動力となったくらいだが、笠屋町には地蔵堂と平安時代の阿弥陀如来像、薬師堂町には平安時代の薬師如来坐像、鵲町には鎌倉時代の地蔵菩薩立像、地蔵町にも鎌倉時代の地蔵菩薩立像、井上町には室町時代の十一面観音立像が伝わり、お祀りされていると聞く。
 私の住む元興寺町では、共和会所蔵の平安時代後期作と伝えられる智挙印を結ぶ金剛界大日如来坐像がある。火災等を恐れて像は国立博物館に預かって頂いているが、町内の人達は大日講をつくり、月に一回ぐらい集まって法会をもっている。
 春日大社に対する信仰は奈良全域に及び、春日曼荼羅や春日講をもつ町内も多い。
 今、春日大社の御造替が近づいているが、昭和五年の御造替の正還宮の時は奈良市挙げてのお祭り騒ぎで、神様の若がえりを祝った。奈良町の各町内では趣向をこらして、町内毎に仮装行列や提燈行列を繰り出した。元興寺町では子供達がお揃いのシルクハットと裃を着て参加した。私は小学生という年令制限には足りなかったが、祖父がお世話役をしていたので特に最年少で参加させて頂いた。各町では接待所を設けて行列が通ると、茶菓子や酒の接待をして下さった。各町内で趣向をこらした行列は、最後に集まって皆で三条通りをパレードした。このパレードはコンクールも兼ねていたらしく、左の写真は入選記念に、奉祝日から三日ぐらいたってから、改めて同じ服装で氏神様の御霊神社の神前に集まり、撮影したものである。戦前はよくこうした町をあげての「にぎやかし」というのがあって、昭和天皇ご即位の御大典の時は何日も「にぎやかし」が行われたそうだ。御大典のことは私は知らないが、私の覚えているだけでも、三度や四度はあったように思う。昭和二十五年の御造替は戦後の復興未だしというので三十年まで延びて行われたが、もう、そうした町を挙げての奉祝行事は行われなかった。それでも、奈良町の人々の心の中には、神仏に対する崇敬の心が生き続けていると私は信じている。


◆奈良町歳時記 夏(弐)

 奈良町は昔から地蔵信仰のあつい町で、町のあちこちにお地蔵様がお祀りされている。七月の終わりから八月にかけて、各町内やお寺で地蔵盆が催されて、お参りに来た子供達にお下がりの菓子や果物が与えられるので、子供達は浴衣など着てお参りに行く。百萬べんの数珠繰りが行われる時などは、腕白小僧も神妙な顔をして数珠を繰る。こうして子供達の心に信仰心が芽生えてゆく。
  履き馴れぬ下駄ふみしめて地蔵盆
  肩上げの深き浴衣の肩を張る
  腕白が数珠を繰りゐる地蔵盆
 盆前には鳴川町で草市が立って、苧殻(注)、鬼灯(ほおずき)、蓮の葉、ぼんさん花、溝萩など、盂蘭盆(うらぼん)に供える物が売られた。へぎ(注)で造った屋形や灯籠は初盆用のもので、人や売り声に賑わいながらも、どこか、もの寂しい趣がただよっていた。
 人々は自分の家の仏様に供える以外に、無縁さんの分を一組余分に買って帰る。供養してくれる縁者のいない無縁さんに手向けるやさしさを、奈良町の人達は今も持ち続けている。
 八月十三日になると、ご先祖様はお迎えのお線香の煙に乗って帰って来られる。蓮の葉に七種類の果物や野菜を盛って、苧殻の箸を添えたものや好物であった物を供える。お茶はさめないように一日七回以上かえる。三日間はお仏飯だけでなくお膳も供えるので、家族もお相伴で精進料理になる。夜は西国三十三ケ所のご詠歌をあげる。二十四番の中山寺で中休みの時、西瓜を供えて一緒に頂くので子供達はそれを楽しみに声を張り上げる。お盆の三日間は、壇家寺の御住職だけではなく、日頃親しくして頂いているお坊さん達が次々お参りして下さるので、家を留守にすることは出来ない。十五日はおやつのおはぎを差し上げてから、目に見えぬ先祖ではあるが、名残を惜しんで送る者が、替わりばんこにお線香を持ってお墓まで送って行く。
  蝉羽の衣飛び飛ぶ盆の僧
  棚経のいそがしげなる鉦の音
  メロン切る間もなかりけり盆の経
 お盆が済むと十六日からは薮入り、住込みで働いている店の人達や女中さん達は精一杯のおめかしをして、イソイソと実家へ帰って三日程の休みを過ごす。
 盆休みが済むと女達は俄然忙しくなる。今のように羽布団や洋布団ではないので、布団は毎年夏の間にほどいて洗い張りをし、綿は打直しに出してあったのを入れて仕立直ししなければならない。丸洗い出来る洋服と違って、和服は汚れると全部ほどいて洗って、仕立直しだから、夏の日の長い間に張り物や仕立物を済ませなくてはと、気ぜわしい。
 「つづれ刺せ、つづれ刺せ、と虫が鳴きはじめましたよ。早く寒さ防ぎの準備をしてしまわなければ。」というのが、祖母の初秋頃の口ぐせであった。

苧殻(おがら)/麻の皮をはいだ茎。「あさがら」ともいう。
へぎ/へぎ板の略。杉または檜の材を薄く剥いだ板。〈編集部・注〉